学生と読む三四郎
- 作者: 石原千秋
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/03/16
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 11回
- この商品を含むブログ (50件) を見る
P85
たとえば、『漱石全集』から『三四郎』に関係がありそうなところを引き抜いてきて『三四郎』を論じることは、研究でも現実に行われている。しかし、これでは作者から解釈コードを貰って『三四郎』を読んで済ませることになる。学生が自分で解釈コードを探して読まなくてもいいことになってしまうのだ。学生が「自分の力」で小説を読むということは、そういうことではない。自分で解釈コードを探し、その解釈コードを使って目の前の得体のしれない小説テクストを「自分の言葉」で語り直すことが、「自分の力」で読むことなのだ。学生にはそれを学んでもらいたいと思っていた。
この「語り直し」のことを、僕は「翻訳」と呼んでいる。それは「自分の読み」を形にすることである。しかも、小説テクストは、小説テクストをそれとは異なる言葉の体系に「翻訳」することで、はじめて「自分の読み」を他人に伝えることができる。それが、読むの「個性」を他人に認めさせることではないのか。これは、知的なコミュニケーション能力を身につけることだと言っていい。だから、教育には是非必要な過程なのである。しかし、小説テクストは多様だ。したがって、大学では解釈のコードをできるだけ多く身につける練習をする必要がある。その手助けをするのが、僕の仕事だ。
P89
真っ当な文科系の大学生になるためには、大学図書館はもちろんのこと、書店が好きにならなければならない。好きにならなくても、使いこなせなくてはならない。図書館は「過去の本」がある場所で、書店は「現在の本」がある場所だからだ。
(中略)
できるだけいろいろな書店を回ってほしいと言っておくことも忘れない。
(中略)
次に、古本屋巡りを勧める。少なくとも神田神保町と高田馬場には行くようにと指導する。
P196
では、学生はいつ「成長」するのだろうか。それは夏休みである。前期の授業で、力不足を自覚した学生の中には、夏休みにクソ勉強する者が出てくる。後期には見違えるほど力が付いている。そして、生意気になっている。あるいは、みごとに消化不良に陥っている場合もある。それを徐々に一つの方向にまとめ上げていくのが後期の授業の課題なのだ。
クソ勉強をしなかった学生は、たいてい失恋して帰ってくる。つまり、人の悲しみが身に染みてわかるようになって帰ってくる。そして、小説が前よりも深く読めるようになる。だから、文学の授業には「一夏の体験」が是非必要なのだ。夏の学生は「不良」にならなければいけない。
P226
しかし、現在大学で小説を読むときには、ことはそれほど単純ではない。様々な方法が(つまり様々な「お約束」が)だいたい十五年サイクルで移り変わっていく。つまり、ほぼ十五年サイクルでパラダイム・チェンジが起きているということだ。結局、大学ではその時々に優勢なパラダイムで小説を読み、それを小説を研究する発想法として学ぶことになる。だから、大学を出て十年もすると、昔学んだことがもう古いということになるのである。
P132
レポートの書き方について
9.君たちのレポートは、僕から見れば「説明不足」に思われることが多い。たとえば「美禰子は三四郎が好きだ」ということは当たり前のように思うかもしれないが、研究はこれを疑う。その結果、これだけのことについて、たくさんの論文が書かれるのだ。君たちのレポートが説明不足に思われる最大の理由は、君たちがまだ「ふつう」を疑うことを知らないからだ。だから、「ふつう」を当然のこととしてそのまま受け入れ、そのまま書いてしまう。しかし、「研究」は「ふつう」を疑うことからはじまる。だから、場合によっては「ふつう」がなぜ「ふつう」なのかを説明する必要さえある。それが、大学で学ぶことの一つである。
10.おそらく、君たちには読書量が決定的に不足している。そして、読書から学ぶ力も決定的に不足している。これから本や論文を読んでみて、「これ!」と思う人を探しなさい。それは、研究者でなくてもかまわない。そして、その人の発想法から文体まで思いっきり真似してみなさい。若いうちには「亜流」になることを恐れてはいけない。「個性」などというものははじめから君たちに備わっているのではない。真似をする経験を経て出来上がってくるものだ。
気になったこと。箇条書き。
- 成城大学文芸学部2年生の授業「近代国文学演習1」
- 大学生になれ。自分のことを生徒と思うな。
- 『大学生のためのレポート・論文術』推薦
- 大学のレポートは「私は〜と思う」ではなく、「〜は〜である」と書く。「私は「〜は〜である」と思う」の省略
- 本屋巡りレポートが面白かった。東京の本屋に行きたくなった…。
- リブロの存在を初めて知った。