採用情報HPから
http://www.boj.or.jp/about/recruit/fresh/clerk/index.htm
総合職
- バブルが崩壊し、日本経済が長期停滞の時代へと突入していった1990年代前半に、学部時代を過ごしました。専攻は経済学。とりわけ、シンプルな道具で切れ味鋭く現実の経済を分析し、政策的な処方箋まで導き出すマクロ経済学に興味を持ちました。経済学の知見を活かしながら社会に貢献できるユニークな職場として、日本銀行に魅力を感じ入行しました。
- 学生時代は法学者を目指すことも考え、随分迷いましたが、知の資質を磨きつつ、社会と多様な接点を持ち得る現在の道を選びました。
- 大学時代は、アカデミックな経済分析の世界にも魅力を感じていました。こうした中で、敢えて日本銀行を志望したのは、生きた経済を読み解き、様々な政策手段を駆使して政策目標を実現していく、という日本銀行の持つ能動的な側面に強く魅かれたためです。
- 大学では財政法・公共政策を専攻し、将来は経済政策に関わりたいと思っていましたが、就職活動の過程で金融の世界にも興味を持つようになりました。そうした中で、「金融実務を通じて公的使命を達成していく」という日本銀行の役割を知り、それに強く惹かれて就職を志望しました。
- "for the public"の精神だ――採用面接で、日本銀行で働く上で最も大切な素質は何かと尋ねたときの答えです。大学時代は経済学を専攻し、法学やITにも関心があった私は、こうした能力を高めながら、日本の金融インフラを支えることで世の中に貢献したいと漠然と考えていましたが、職員の公益に対する強い想いに後押しされる形で入行しました。
- 「日本人として、日本そして国際社会に貢献したい」という漠然としたイメージしか持っていなかった自分が、日本銀行に入ったのは、「採用面接で会った諸先輩がいるような職場であれば、夢を実現できるのではないか」という気持ちからでした。
- 学生時代、経済現象の背景にあるメカニズムに興味のあった私は、多くの経済・金融問題が顕在化するなか、次第に「日本が直面する問題解決の力になりたい」と強く思うようになりました。その思いを実現しようと決めた場所が、物価と金融システムの安定を担う日本の中央銀行――日本銀行――でした。
- 広い視野をもって社会や組織の仕組み作りに関わる仕事に携わりたい、そのような思いで就職活動を行うなかで、政策や業務を通じて日本の金融・経済に働きかけることのできる日本銀行に魅力を感じるようになりました。
- 学時代、デフレ脱却には金融政策が重要な役割を果たすと感じ、金融政策で日本経済を復活させ、日本に貢献したいとの想いから、日本銀行を志望しました。
- 制度・政策と金融の双方への興味から、「セントラル・バンカー」という職業に出会いました。金融政策の担い手だけでなく、金融インフラの提供者でもあり、自ら市場のプレーヤーにもなる、金融に対してこれほど多面的に携われる職場は他にはないと感じました。
特定職(業務分野)
- 私は、「生まれ育った北海道の地域経済の発展に貢献し、故郷に恩返ししたい」との思いを胸に就職活動していたところ、日本銀行に勤務エリアを特定出来る職種があることを知り、特定職に魅力を感じて志望しました。
- 日本銀行と聞いてイメージする単語は何でしょうか?大学で理系専攻の私は「金融政策」、「短観」、「銀行の銀行」といった単語しか思い浮かびませんでしたが、経済活動を支える黒子として働きたいとの漠然とした思いから入行しました。
特定職(専門分野)
- 学生時代、情報技術が様々な分野に強い影響を与え、今や欠かせない存在であることに魅力を感じ、情報技術関連の仕事に就くことを決意。社会インフラを情報技術の面から支え、社会に貢献したいと思い日本銀行に入りました。
- 学生時代に法律を専攻し、社会に出ても法律を身近に感じることができる仕事に就きたいという思いがあったほか、ある分野のエキスパートになれるという点に魅力を感じ、法律専門職というコースを志望しました。
- 学生時代には経済政策を学びました。日本銀行は「学び続けられる職場」であるという先輩の言葉を聞き、金融政策決定への貢献を通じて自分自身を成長させていきたいと考えました。
- 私は高校卒業までの通算8年間を3つの国で過ごしました。その経験から、海外における日本への信頼構築に貢献したいという想いがあり、一企業の利益よりも公共の利益を追求する組織で働きたいと考えていました。そんな時、日本の経済・物価情勢や金融システムの状況などを分析した内容を英訳し、海外に発信することを仕事とする、語学を専門とする特定職の存在を知り、志望しました。
- 「社会への影響力」、「自分の特長を活かせる仕事」が魅力で日本銀行を志望しましたが、学生時代の部活でチームワークの重要性を実感していたので、「こんな人々と仕事がしたい」と思う出会いがあったことが入行の決め手となりました。